26年02月03日
節分祭
節分。
本来は季節の変わり目を知らせる、静かな区切りの日。

豆をまき、歳の数だけ豆を食べ、
「今年も無事に春を迎えられますように」と願う。
そんな風景は、少しずつ日常から薄れてきている。
忙しさの中で豆まきをしない家も増え、歳の数を数えることすらしなくなった。
変化の速度は確かに早い。
けれど、季節を意識するという意味では、こうした行事が今も残っていること自体が、すでに豊かさなのかもしれない。

少子高齢化、情報化社会、そして世代間の価値観の差。
この差は、歴史の中でも最大級だと思う。
「昔はこうだった」という定石は、もはやそのままでは通用しない。
今の世代は、常に問い直す。
それって意味ある?それは無駄じゃない?
合理性のフィルターを、自然と通してしまう。
けれど、その“無駄”は、あるときは確かに無駄で、
あるときは、人を支える余白でもある。
同じ形で伝統を継承することは、これからますます難しくなるだろう。
それでも、完全に失う必要はない。形を変えながら、意味を探しながら、
残っていくものもきっとある。
この時代を、今までと同じ目線で見ていたら、悲観的に見るはずである。
でも、目線を変え、高さを変えればとても楽観的だ。
過去の正解が崩れ、新しい問いが無数に生まれる今は、
どんな時代よりも、ある意味おもしろい。

森と蔵では、いつもと変わらない節分の日。
静かな里山の空気の中で、季節だけは、今日もきちんと巡っている。
変わるものと、変わらないもの。
その境目を感じながら、
またひとつ、春に近づいていく。



